2004年11月26日

[底]異文化コミュニケーションっちゅうの?

 11/25付の日本経済新聞に「東京で『外国学校』の誕生が相次ぐ」という記事が掲載されています。以前紹介したことのある「ダーリンは外国人―外国人の彼と結婚したら、どーなるの?ルポ。」で見られる通り、日本での外国人は文化の差異や日本の行政システム上の問題から少なからず生活する上で大変な思いをしています。
 記事の中では渋谷区大山町のイスラム教幼稚園、江東区森下のインド人学校が紹介されていますが、他にも全国に73校ある朝鮮学校やおよそ80あるというインターナショナルスクール(英語学校)を始め、いくつもの外国学校が存在しています(全体の数はネット上からは資料を引っ張り出せませんでした)。
 この記事では学校はただの前置きで、実際には在日外国人と日本人とが向き合うことそのものを取り上げています。

 僕がバンコクに留学していた時は、タイ語を勉強していて既にわずかながら理解できたことから、それほど大きなトラブルはありませんでした。もちろん僕の周囲にいたタイ人の許容があってこそのものですが。例えばマンションの中で過ごす上でのルールやちょっとした習慣は、日本より緩いので僕にとって大した問題にはなりませんでしたし、角部屋だったので音もそれほど気にせずに済みました。何をどうすればいい、というのはいざとなれば誰にでも訊けたという、僕の方の能力の問題もありましたが。
 家を探す時は日本人専門の業者さんにお願いしましたが、様子を見ていると、自力で探しても「日本人?ダメダメ、お断り」なんてことはなさそうです。

 これは主にバンコク人の日本人慣れと親日感情から来ているところが大きいと思うんですが、大して日本人がタイ人を受け入れるとなると少々大変です。基本的に日本の方が時間やルールに厳格ですから、時には日本人をイラだたせたりする材料になるわけですね。逆に宗教的には非常に適当ですから、埋葬や祈祷など特別なルールのある宗教(主にイスラム教ですね)は大変です。成田にはイスラム教信者用の祈祷室がないらしいんですが、これは結構問題だと思います。新聞にある「特定の宗教に肩入れできない」というのは、私から言わせていただくとただのバカです。そりゃあ仏教や神道に祈祷室はいらないですよ。でも、サービスって一定数の要望があれば可能な限りそれに応えるのが原則なんじゃないでしょうか。世界への広がりから察するに、おそらく成田に上がっている要望は簡単に無視してしまえるような件数ではないはずです。どうして応えられないんでしょうね。テロ対策?

 ただ、一概に日本人だけを責めるのはおかしいです。なぜなら、ここは日本だから。我々が外国に行って好き放題やるのが無法なように、外国人が日本で自国の文化をかたくなに守り続けるのは無法です。借りた部屋の使い方、規則、生活習慣、言葉、どれを取っても「Uninternational」の一言で片付けて日本式を無視するのは明らかに間違っています。

 家の話が特によく話題に上りますね。以前に外国の方を住まわせて嫌な思いをした家主は外国人、というだけで貸したがらないという話が「ダーリンは外国人(2)」にありましたが、それはつまり自分と同じ立場の人間がしでかしたことに対する反発なわけです。偏見と言えば偏見ですが、我々も海外では「日本人」ということで良くも悪くもまとめて見られているわけです。「親日感情」なんてものはその類の正の遺産なんですね。今年SWUに留学した後輩の無神経な行動で「日本人たちはどうして〜」とまとめて文句を言われていた、と同じ大学にいる別の友人が嘆いてました。これは負の遺産。
 こうなってしまうと、外国人でも日本人でも直接関係ない人の行動で迷惑を被ってしまうことになります。が、直接関係ない、というのは結構ミソで、自分がその直接関係ない人になってしまう可能性も高いんです。仲間を責めてばかりはいられません。

 生まれた国が違うんですから、お互いに文化差があるのは当然のことです。それをまず当然違うものだとして直視すること。そしてその差がどこにどのように存在するのかを探すこと。そしてお互いがそれを乗り越える努力をし、努力を促すこと。
 受け入れる方が一方的に譲歩してては実は解決になりません。相手の行動を我慢するばかりでなく、我慢してから一言「これは日本ではやるべきでない行動ですよ」と言うことが、その後のご近所さん生活に確実にいい効果をもたらします。こっちは我慢して譲歩し、相手は我慢させないように勉強する。常にお互いがいいですね。

 これ、実は僕がバンコクで友達から言葉を学ぶ際に嬉しかったことでもあります。何かしゃべった時に、意味はわかるから放っておくのではなく、意味がわかるけど致命的に間違ってるところは「そこはそうは言わないよ」と言ってくれるとすごく助かるのです。なにしろこっちは話すのに必死で細かいとこまで気にしている余裕はありませんし、正しいかどうかは言っててもわかってませんから。
 僕と一緒に日本語教師をしていた友達はそれを言ってくれる人で、僕が何かおかしなことを言うと「コンタイ・マイプート(タイ人はそうは言わない)」と言ってくれました。それはそれで「じゃあどう言えばいいかな」という次の会話の接ぎ穂にもなりますし、それでいちいち凹んでたら勉強できませんから。
 気の遣い方もさまざまです。
posted by alohz at 01:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | news | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。